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アイフルとは日本の競走馬である。1976年天皇賞(秋)の優勝馬で、同年の最優秀5歳以上牡馬。1970年代における大器晩成型の代表格である。主戦騎手は嶋田功。なお、キタノカチドキ(皐月賞・菊花賞)・コーネルランサー(東京優駿)・フジノパーシア(天皇賞(秋)・宝塚記念)と同期である。馬名は「愛が降る」といった意味である。 == 戦績 == 1973年11月18日のデビュー戦をブービー人気ながらも同着優勝したアイフルは、次走の200万下条件戦2着でこの年のシーズンを終えた。 翌1974年、200万下条件戦の椿賞を勝ち4戦2勝で弥生賞に挑戦したものの、後方のまま最下位に敗れたために皐月賞には出られず、脚部不安でトライアル競走にすら出られなかったフジノパーシアと共に、クラシック三冠とは無縁の競走生活を送った。フジノパーシアは1975年に早々と条件戦を抜け出したが、アイフルは500万下条件戦の駒草賞以後15戦走るもなかなか勝てず、1975年末に900万下条件戦を勝ってオープンクラスに昇格したころには、既に同期のクラシック優勝馬(キタノカチドキとコーネルランサー)は故障が原因で2頭とも引退していた。 1976年の日刊スポーツ賞金杯を条件戦を脱出した勢いで快勝し、重賞優勝馬となった。その後、アルゼンチン共和国杯と平場オープンを勝ったアイフルは天皇賞(秋)に挑戦する。ホワイトフォンテンを出し抜き大逃げ戦法に打って出た武邦彦鞍上のロングホークを最後の直線で交わすと、追いすがるハーバーヤングを1馬身4分の3振り切り天皇賞制覇を成し遂げた。 天皇賞優勝馬となったアイフルは、年度代表馬の座を賭けて同年暮れの有馬記念に挑戦〔鞍上は菅原泰夫。日刊スポーツ賞金杯を制した際にも手綱を取っていた。なお嶋田功は自身の所属厩舎(稲葉幸夫厩舎)の管理馬で同年の牝馬二冠(桜花賞・優駿牝馬)を制したテイタニヤに騎乗した。〕するが、後にTTGと呼ばれる3頭の内の2頭、トウショウボーイとテンポイントが立ちはだかり3着敗退。結局、年度代表馬には皐月賞と有馬記念を制したトウショウボーイが選出された。その後も、ラストランとなった第18回宝塚記念までに勝てたのはTTG不在の中山記念と連覇したアルゼンチン共和国杯だけだった。 12勝の実績に加え、追い込み脚質でありながら2着13回、3着10回という堅実な戦績を残した点も、特筆されるべきであろう。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アイフル (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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